【豪快】テレビのシステムを作った豪傑、田中角栄①。
こんちゃ
onitakoです!
ほぼ毎回出てくるのが、田中角栄です。
あだ名は、コンピューター付きブルドーザー。
非常に頭が良く、行動力がブルドーザー級だったというのです!
調べてみると、元々貧乏人で、商売で成功、
誘われた選挙で当選し、最年少で国務大臣。
そして、今のテレビ局の仕組みを作り、内閣総理大臣(64、65代)になったという
とんでもない切れ者でした!
そんな田中角栄をまとめてみましたので、
見てみてください!
ちなみに田中真紀子のお父さんです。
参考文献は、あっちゃんのYoutubeと
そこで紹介された、こちらの本です(石原慎太郎が角栄になりきって書いた本みたいです)↓
田中角栄ヒストリー
1918年 新潟県の田舎出身。7人兄弟の次男で、長男を若くに無くし、実質長男(他は女性)。極貧生活。
14歳 高等小学校卒業。工事現場でアルバイト。1ヶ月で辞めて、県の土木派遣所で勤務開始。
➡︎この時の現場監督の経験から、上にいれば人を使えるということ、権力を覚えた。
22歳 日中戦争に徴兵。24歳で肺炎のため帰国。
25歳 田中建築事務所を設立。
27歳 田中土建工業を設立(当時の年間施工実績No.50位)
28歳 顧問の代議士からの勧めで、戦後初の総選挙に立候補➡︎落選
29歳 新潟三区当選。建設・地方・人心掌握が非常に得意。
➡︎新潟と東京の地方格差を無くしたいという願望を抱く。
※田中角栄は、人の引き入れとお金の使い方に非常に長けていたと言われている。
伝説は、他の派閥の政治家が入院した時に、毎回見舞いに行き。見舞金を毎回500万包んで、
計4回訪れ、自分の派閥に引き込んだという話もある。
また、議員立法も40件以上も通しており、現在有効な法律もいくつもある。
36歳 当時の総理大臣、吉田茂に評価され、自由党副幹事長に抜擢。吉田13人衆にも選ばれた。
➡︎この時に、テレビ局というシステムを作り、郵政の管轄下に置き、
マスコミに圧力をかけれるようになっていた(角栄の悪口はTVで言えない!)。
44歳 池田内閣。大蔵大臣。
53歳 佐藤内閣。通商産業大臣。『列島改造論』
54歳 最年少で、内閣総理大臣へ。
一旦ここまでで切ります!
完全に成り上がりの人だったんですねー
ビジネスで成功して、日本を牛耳るまでしてのけたというのが、
男としては、とてもカッコ良いなと感じました!
そして、次回は、ここまで順調だった田中角栄が失墜することとなった
ロッキード事件を取り上げます!
それでは!