Onitakoグルメ旅

大阪グルメをこよなく愛する27歳。記憶に残るお店をメニューと共に発信していきます!

【豪快】テレビのシステムを作った豪傑、田中角栄①。

こんちゃ

onitakoです!

中田敦彦さんの選挙関連のYouTubeを見ていると、

ほぼ毎回出てくるのが、田中角栄です。

あだ名は、コンピューター付きブルドーザー。

非常に頭が良く、行動力がブルドーザー級だったというのです!

調べてみると、元々貧乏人で、商売で成功、

誘われた選挙で当選し、最年少で国務大臣

そして、今のテレビ局の仕組みを作り、内閣総理大臣(64、65代)になったという

とんでもない切れ者でした!

そんな田中角栄をまとめてみましたので、

見てみてください!

ちなみに田中真紀子のお父さんです。

参考文献は、あっちゃんのYoutube

そこで紹介された、こちらの本です(石原慎太郎角栄になりきって書いた本みたいです)↓

天才

天才

田中角栄ヒストリー

1918年 新潟県の田舎出身。7人兄弟の次男で、長男を若くに無くし、実質長男(他は女性)。極貧生活。

14歳  高等小学校卒業。工事現場でアルバイト。1ヶ月で辞めて、県の土木派遣所で勤務開始。

    ➡︎この時の現場監督の経験から、上にいれば人を使えるということ、権力を覚えた。

22歳  日中戦争に徴兵。24歳で肺炎のため帰国。

25歳  田中建築事務所を設立。

27歳  田中土建工業を設立(当時の年間施工実績No.50位)

28歳  顧問の代議士からの勧めで、戦後初の総選挙に立候補➡︎落選

29歳  新潟三区当選。建設・地方・人心掌握が非常に得意。

    ➡︎新潟と東京の地方格差を無くしたいという願望を抱く。


田中角栄は、人の引き入れとお金の使い方に非常に長けていたと言われている。

伝説は、他の派閥の政治家が入院した時に、毎回見舞いに行き。見舞金を毎回500万包んで、

計4回訪れ、自分の派閥に引き込んだという話もある。

また、議員立法も40件以上も通しており、現在有効な法律もいくつもある。


36歳  当時の総理大臣、吉田茂に評価され、自由党副幹事長に抜擢。吉田13人衆にも選ばれた。

39歳  岸内閣の郵政大臣(戦後初の、30代での国務大臣)。

    ➡︎この時に、テレビ局というシステムを作り、郵政の管轄下に置き、

     マスコミに圧力をかけれるようになっていた(角栄の悪口はTVで言えない!)。

44歳  池田内閣。大蔵大臣。

53歳  佐藤内閣。通商産業大臣。『列島改造論』

54歳  最年少で、内閣総理大臣へ。


一旦ここまでで切ります!

いやー、田中角栄はてっきり世襲だと思っていましたが、

完全に成り上がりの人だったんですねー

ビジネスで成功して、日本を牛耳るまでしてのけたというのが、

男としては、とてもカッコ良いなと感じました!

そして、次回は、ここまで順調だった田中角栄が失墜することとなった

ロッキード事件を取り上げます!

それでは!